神経回路学会誌 (1999) Vol.6 No.3

旅行記 ---ビバ・エスパーニア---

京都大学理学研究科 篠本 滋

横断歩道の交通信号が赤だけれど、車がこないから人が道路をわたっている。何の不思議もない。世界中どこでも見られる光景である。しかし、その中に1人だけ道路をわたらない人がいる。よくみると警官である。交通担当の警官ではないのだろう、人を注意するでもなく、ただ信号が青になるのを待っている。

研究会の会議場では、学生アルバイトらしき人たちが会議進行の手伝いをしている。スライド係はスライドのめんどうをみてくれる。当然のことである。ところがライトの係がいなくてライトがついたままになっていても、スライド係はいっこう気にならないらしい。スライド係はスライドのめんどうしか見ない。

会議の秘書にスペイン国内のフライトの変更を頼むと「この電話番号の誰それに相談してください」といわれる。次にバスのスケジュールを訪ねると「その件についてはホテルの受付に聞いてください」といわれる。そしてホテルの受付に行くと、受付の男性がバス会社に電話をかけてくれたが「あいにく担当が昼寝休みですから、後でこの番号に電話して交渉してください」といわれる。たらい回しである。

しかしよく考えてみれば、この人々は自分の仕事をさぼっているというわけではない。確かに指示されたことをやっているし、聞かれたことに対しては必要な情報を提供している。余分なことをしていないというべきかもしれない。いわれてもいないことをやったり、聞かれてもいないことを答えたりしないのである。そこでまず考えたのは

--- 仮説1:スペイン人はお節介はやかない。 ---

街を歩く人はうつむき加減で、東洋人に対しても何人に対しても無関心なようにうつった。関心があるのは、自分と恋人だけ、といった風情である。この目つきでは、宇宙人が歩いていようが、幽霊が歩いていようが、自分に関わってこない限り無関心でいつづけられるのではないか。「情熱の国」というキーワードでスペインをとらえていたぼくは肩すかしを食らった気分になった。英語もまるっきり通じない。英語で何かをたずねても向こうはためらいもせずにスペイン語で返事をする。向こうは英語が分かっているわけでもなさそうだから、日本語でたずねても同じはずであるのに、なぜか英語で話しかけてしまう自分がバカに思えてくる。そこでつぎに考えたのは

--- 仮説2:スペイン人は外界に対して無関心である。 ---

いうまでもなく、スペイン人をひとくくりに論じるのは失礼というものである。僕たちだって日本人をひとくくりにして論じられたらたまったものではない。だから、これらはおもしろ半分の仮説にすぎない。誤解のないように願いたい。

国際会議「人工および現実のニューラルネットワークに関する国際ワークコンファレンス(IWANN'99)」が、1999年6月2日より4日まで、スペインの地中海側の小都市、アリカンテ市にて開かれた。約200名の参加者があった、との報告があったが、実勢はもうすこし少なく100名程度ではないかという印象を受けた。ヨーロッパからの参加者が中心であったが、日本からは福島邦彦先生、大森隆司先生など、6、7人が参加されていた。会議では4つのセッションがパラレルに走っており、ぼくの興味は「ニューラルモデリング」と呼ばれるセッションにあった。

この会議に参加することになったのには理由がある。スパイク統計の関係でチェコ・プラハのピーター・ランスキー氏を知ることになり「一度会って議論したいね」という話になった。やがて彼からこの会議IWANN'99の案内が送られてきて「この会議で会おう」ということになってスペインまでやってきたのである。

初日午前のプレナリー招待講演はイスラエル、ヘブリュー大学のモシェ・アベレス教授の講演であった。その講演の内容についてはすぐ後に述べるが、とてもすばらしいものであった。その直後のセッションはしかしはっきり言って不作だった。それでも最初だからと思ってぼくが我慢して座っていると、後ろからそのピーター・ランスキーが「コーヒーでも飲まないか?」と書いた紙をぼくの目の前に差し出したので、早々に抜け出すことになった。はじめて話す相手ではあったが、以前から電子メイルで交信してきたこともあって、その人となりについては予想はついていた。そして話してみると予想通り頭脳明晰でユーモアたっぷりの人物だった。研究面の話もすらすらと進んだが、話題は次々と脱線し、子育て、水ロケット、蒸気機関車のおもちゃの話へと発展していった。

そうこうして他の講演も聴かないでいるうちにお昼休みに突入してしまった。お昼休みは1時前から4時前まで延々と続く。シエスタと呼ばれる昼寝をする習慣もあるが、さすがに会議のプログラムにシエスタとは書かれていない。昼食ではモシェ・アベレスと話すことになった。ぼくは彼にたくさん聞きたいことがあった。「あなたのシンファイア・チェインの仮説には興味を持っているのだけれども、しかしシンファイア・チェインがあるとするなら、同じように自己回帰的なチェインがあると期待できるのではないか。それは振動現象を意味することになるが、講演であなたは振動は見つからないといった。これはどう考えればよいのですか?」といったことを聞いたが、彼は動ぜず、「確かに可能性としては否定できないが、ともかくみつからんのだよ」と平然としている。「あなたの実験結果と同じようなデータはたくさん見つかっているのですか? あまり聞いたことはないのだけれど」という質問については「いくつかは見つかっている、たとえば・・・のグループとか・・・のグループとか」「全部あなたの仲間じゃないのですか?」「研究者はみんな仲間だよ」「データの分析で、統計的有意性の検定について理論家は納得しているのですか?」「いや、統計的有意性についてはいろいろ議論があるが完全に解決されたとは思っていない。ギーマンがね、これこれこういうことをやればよいといっている」「ではギーマンたちはそれをやっているのですか?」「いや、やっていない」「普遍的な現象であるかどうかについてはもっと他の実験がほしいですね」「他でやられていないということはよいことだ。なぜなら我々はあまり金がないからね、じっくりと自分のペースで仕事ができればよい」とまあ、世間の動向に左右されず、自分の道を悠々と進んでいるこの研究者をみてまぶしいような強い印象を受けた。

ぼくのセッションはその日の午後にあった。またそのセッションの座長も受け持っていた。この座長の件については打診もなしに、こちらの名前が座長名としてのってしまっているプログラムがいきなり送られてきた。その後に「座長をよろしく」という依頼状が送られてくる、というこの気軽さはさすが南国だなあ、と思った。セッションが始まるときには副座長があらわれなかった。主催者がやってきて「もし副座長が現れなかったら、その人の発表もとばして適当にやってくれ」というのには、また驚かされた。しかしともあれ数分してその副座長は現れた。年老いたイタリアの女性研究者であって彼女自身はヒドラの収縮振動の研究について話した。その後2件の発表がキャンセルされたおかげで時間はたっぷり余り、ぼくの講演については20分の講演時間の後、質問が相次いでさらに20分近くを質疑応答に費やすことができた。ピーター・ランスキー、モシェ・アベレス、そしてイギリス、ケンブリッジのデイビッド・ブラウンたちが活発に質問し、議論を盛り上げてくれた。セッションが終わってもお茶を飲みに行ってさらに議論を続けた。

発表まではおなかの調子が悪かった。「おなかの調子がわるい」ということを同じホテルに泊まっていた福島邦彦先生にいったら「意外に神経質なんだね。誰も信じないだろうけど」などとからかわれたが、ぼくはたしかに神経質なのである。しかし自分の発表が終わればおなかの調子も気にならなくなった。

その初日の夜はアリカンテ市のバーバラ城趾にてオフィシャル・レセプションが催された。アリカンテ市長代理の挨拶の後、民族舞踊「ホタ」が披露される。ギターなどの伴奏のもと、民族衣装を着た人たちがカスタネットを鳴らしながら軽快に踊る。このダンスの最後には、参加者の幾人かを捕まえて一緒に踊るということになった。捕まった人たちのなかに1人日本の大学院生が混じっていた。参加者はラテン系の比較的小柄な人が多く、そのなかでこの比較的大柄な日本人が結構立派に見えた。最近の日本の若者はヨーロッパの人たちと比べても体格的にも劣らなくなったものだなあ、ということに感心した。

スペイン観光というとフラメンコと闘牛という定型的なものになりがちで、ぼくも実際フラメンコをみてきたが、このホタのような楽しくのどかな民族舞踊のほうがかえって印象が深かった。このホタの民族衣装はやはりスペインらしく色彩豊かではあるが、あくまでヨーロッパの民族衣装であった。一方マドリードでフラメンコをみたときには、その衣装はインドや中東のものを彷彿させた。またフラメンコの手の動きはインド舞踊のそれに似ていたので、ガイドにそのことを聞くと「フラメンコはインド、中東の踊りがジプシーによって伝わったものであって、確かにインド舞踊の影響を受けている」といっていた。

翌日の早朝のプレナリーはトマソ・ポッジオの招待講演の予定であったが、数日前に急に都合が悪くなったとかで、地元スペインのロボティックスの研究者が代役を務めた。流ちょうな英語であったがまるっきり内容のない表面的な講演であって、聴衆は失望を隠せない様子であった。講演は中身が大事であって、英語は二義的であるということを痛感させられる講演であって、それはそれなりに印象に残る講演であった。

ところで、ヨーロッパの会議に出ると、注意して聞かないと英語だということもわからないような発表も少なくない。もちろん、こちらの英語だってほめられたものではないが、彼らの場合は似たような自国語があるために、それを直接放り込んで話しているようだ。イタリア人の講演のなかで「ペルテルベーシオン」が"perturbation"であることを理解するのに少し時間がかかったりする。とはいえ、模範的な英語だけが飛び交っているよりは色合いがあってずっと楽しい。ラテン系の人は英語にせよ何語にせよ、文法など細かいことにはこだわらず天衣無縫に話すが、それでも不思議に内容はよく通じる。日本人の話す英語はそれに比べて内容が伝わりにくい。われわれ日本人も細かなことを気にせずにどんどん話していけばよいのだ。

その後の午前のセッションではピーター・ランスキーらとデイビッド・ブラウンらの発表があり、そのどちらも興味深かった。ブラウンらの発表はホジキン・ハクスレー方程式(もしくはフィッツヒュー・南雲方程式)がいかに積分発火モデルと違った特性を示すか、ということを強調したものであった。ぼくはその理由がよくわからなかったので「その相違の原因について直感的な説明はないのか」と聞いたところ「一年待ってほしい。一年経ったら説明できると思う」という返事であった。特殊なパラメータを選べば違いが強調されるのは当たり前なので、その相違がどの程度一般的であるかについても検討が必要である。ランスキーらは海馬の「場所細胞」の反応が異常揺らぎを示すという報告を受けて、その異常を説明するための確率過程モデルを提案している。講演の後に「最新のシータリズムとの関連をついていったらおもしろいかな」などという議論を二人でやった。

2日目の午前をもって、ぼくの関連の研究発表は終了した。一般に、会議でおもしろい講演を聞く確率は高くない。一つの会議のなかで一つでも興味をそそる話が見つかれば十分運が良かったといえるだろう。今回は3つもおもしろい講演を聞いたし、優れた研究者とも知り合いになることができた。もう元は取ったという気分である。2日目の夜にはアリカンテ市の最高のレストランでオフィシャル・ディナーが催された。始まる前の酒宴では他の日本人のグループとも話した。彼らも今日のうちに発表を終えたと見えて、表情もリラックスして言葉数も多かった。

その後、アメリカから来ている女性研究者と話し始めた。この女性研究者は原子力発電の制御の研究者で、ニューラルネットの研究をのぞいてみるために参加したとのこと。ぼくは「ニューラルネットそのものは悪いものではないけれども、原子力発電の制御には絶対使ってはいけませんよ」と念を押しておいた。そうこうしているうちにそのままテーブルに向かうことになったが、そのテーブルについた研究者の国分布は、アメリカ2人、メキシコ2人、キューバ1人、フランス3人、チリ1人、日本人1人となった。実をいうと彼らの国籍のほどは定かではない。アメリカから来ている2人はその原子力発電の女性研究者とそのご主人であるが、女性のほうはイラン生まれであり、ご主人のほうはレバノン生まれであることが、話していてわかった。またフランスから来ている3人のうち、少なくともひとりはイラン生まれであり、もう1人はウルグアイ生まれである、ということも話していてわかった。

イラン生まれのアメリカ女性は、彼女が高校生の頃に1人でアメリカに移った。彼女のお父さんはイラン革命の前の将軍であったそうで、彼女の兄弟も皆一人一人外国で独立に学んでいったとのこと、その勇敢さに脱帽の思いである。そのほかの人も皆それぞれに固有の経歴を持っている。「日本のことについてもっと話しを聞きたい」といわれて、ある程度の話はしたが、これらの人々からみて、生まれてからこのかた平和に浸りきっている我々日本人は、むしろ特異な存在だと思われるのではないか、とも思った。彼らの多くはニューラルネットの応用を学び、応用研究を目的にしており、神経科学のような役に立つとは思えない純粋「科学」は眼中にない様子であった。

さてこのディナーでこういった会話が盛り上がってきた頃に、黒い服を着た10人程度の人たちが、ギターやタンバリンをにぎやかにかき鳴らし、歌を歌いながら入場してきた。これは「ラ・トゥーナ」と呼ばれるものだそうで、近所の医科大学の学生たちがやってくれているということであった。冗談らしき口上が(もちろんスペイン語で)あり、おどけた踊りもあって、見ているだけで楽しくなってくる。日本でいうと応援団のバンカラめいた雰囲気があるが、歌のほうは合唱団のように見事なものである。スペインの大学にはこの「ラ・トゥーナ」のサークルがあるものらしく、大学間で互いに競い合うそうだ。若者のリーダーと思われる1人と、年配の1人はガウンのようなものを羽織ってタンバリンを打ちならして踊りつづけている。時にはスペイン語でのジョークが交わされて、スペイン語のわかる人たちは笑い転げている。同じテーブルでスペイン語のわかる人たちの説明によると、彼らは「ビバ・エスパーニア(スペイン万歳)」というような、スペインで有名な歌を歌っているらしい。メンバーの若者たちはすべて好青年で、スペイン人特有の、いってみればグレコの絵の登場人物を陽気にしたような顔立ちのかわいらしい青年の顔がとても印象にのこった。このディナーは午後9時に始まったが、終わったときはすでに午前0時半を過ぎていた。

会議の最終日、昼食のときにグラナダ大学の院生と隣り合わせになった。彼もまたスペイン人独特のかわいらしい顔立ちの青年である。そういえばこの学生とはオフィシャル・レセプションからの帰りのバスで隣り合わせになったことがあった。そのときは、彼がどんな研究をしているのかを聞いて、彼は「自分は画像処理の研究をしている」というようなことを淡々と話していただけであった。ところが、この昼食時の会話ではじめて、彼が日本の文化に強い関心を抱いているということがわかった。黒沢の映画を全部みたといっているし、そのほか小津とかぼくの知らない監督の作品もたくさん見ているらしい。この彼のおかげで、ぼくの立てた「仮説2:スペイン人は外界に無関心である」は必ずしも正しくないことがわかった。彼は独り言のように「自分はスペイン人のなかでは少し変わり者で、少し東洋的なところがある」とつぶやいていた。しかしこれはぼくが話しかけたから向こうも話したということであって、向こうから勝手に話してきたわけではなかった。だからもう一つの「仮説1:スペイン人はお節介をやかない」というほうは、この彼の行動とも整合しているように思え、ぼくの推測もまんざらではないと思っているのであるが、どうだろうか。

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