神経回路学会誌 (2000) Vol.7 No.2

旅行記 ---アンニョンハセヨ---

京都大学理学研究科 篠本 滋

韓国のジョンフン・オーという人とこれまで国際ワークショップなどで2度ばかり会ったことがあり、そのときに「近くにいるんだし交流があればね」という話をしたことがあった。そのことはてっきり忘れていたのだが、99年の年末に「韓国のポハン工科大学、POSTECHで脳神経科学の冬の学校をやるから、講師として来ないか」というメイルが入ってきた。これまでこの冬の学校では、韓国内の講師を呼んでいたが、今回は予算がとれて外人を呼ぶことになったらしい。アメリカ、ベル研究所の研究者と日本のぼくに声をかけている、とのことであった。

日韓は、過去の侵略戦争が影を落としていて、互いに近くて遠い国といわれる。侵略の歴史は1592年と1597年の二度にわたって豊臣秀吉が命じた朝鮮出兵にまでさかのぼる。1910年の日韓併合はいうまでもない。こういう歴史を知ると気が引けるのではあるが、だからといっていつまでも避けて通るわけにはいくまい。それに韓国までの距離は近く、関西空港からソウル金浦空港までわずか2時間なのである。お呼びがあった機会にいってみよう、と決めた。子守りが最優先事項のため旅行日程をミニマイズする必要がある。その結果、旅程は冬の学校の2泊3日だけ、となった。講義をやってその日の内に関西空港から自宅に戻ることができるのである。冬の学校の開催されるPOSTECHは韓国のポハン(浦項)という町にある。ソウルよりもむしろプサンに近いが、ソウルからでも国内便で1時間弱の距離にある。

ぼくはソウルを経由してポハンに向かうルートを選んだ。出発の日はその日の内にポハンにつけばよいので、乗り換えの合間をみてソウルの観光ができないかという魂胆である。とはいえ、早朝に関西空港を発ってソウル金浦空港にお昼ころについても、夕方の便まで4時間余りの余裕しかない。金浦空港からソウル市中心部までは片道1時間ほどはみておきなさい、といわれたから、市内の観光は1時間程度が限度である。そこで目的地を南大門市場(ナンデムンシジャン)の一カ所に絞り、市場の中を1時間で駆け回ることにした。南大門市場はソウルでも最大級のオープンマーケットで、そこにはありとあらゆるものがある。ガイドブックには衣類が中心と書いてあったが、興味をひいたのは、食材、高麗人参、食べ物の屋台などであった。食材では魚、豚肉、豆類、そして唐辛子の類が目を引く。肉屋さんの店頭に豚の顔がそのまま並べられているのをみるとぎょっとするが、あの豚の顔を見るとなぜかこっけいな気分にもなる。高麗人参や松茸などの専門店をみると、韓国にきた、という気分になる。食べ物の屋台や食堂では、薄焼き、ビビンバ、クッパ、韓国麺などに目がひかれる。

夕方の便でポハンに到着すると、学生が迎えに来てくれていた。頭の良さそうな礼儀正しい学生で、英語もけっこう話せる。タクシーの乗り込み方が気になっているようなので、なにか問題があるのかと聞くと「いま自分の座っている席は韓国では上座ですので、ここに自分が座るのは恐縮です」といっている。韓国は儒教文化をもった礼儀正しい国なのである。彼は、今年電子工学科を終了して、大学院ではジョンフン・オーの研究室に進学する予定だという。修士課程だけのつもりなのか博士課程まで行くつもりか、と聞いてみると「自分は応用に興味があるので修士を終えれば企業に就職したい。日本の企業にも興味があります」という。「日本の企業はいま円高もあって調子が悪いようですよ。韓国の企業はきっと業績がいいのでしょう?」と聞くと、確かに業績はよく、就職の心配はないとのことであった。彼は自慢しなかったが、彼らのPOSTECHは大規模な製鉄会社ポスコの補助によって設立された工科大学であり、教授陣も学生のレベルもソウル国立大学などと並んで、かなり高いといわれており、いずれにせよ彼にとっては就職難の類の心配はないのだろう。POSTECHに到着してからも荷物を持ってくれたり、かいがいしく働いてくれた。大変うれしかったが、このように殿様扱いされると、むずがゆいような気分がしてあまり落ち着かなかった。そういえば日本でも十年以上前までは外国からのお客も少なく、外人が来るたびに空港まで迎えにいったものである。ぼくは最近は外国からのお客に対しては、前もってインストラクションを与えておいて、各自、自力でホテルに入ってもらうことにしている。ただし、このポハンという町は20万人程度の町であって、英語の表示も少なく、外人が1人で歩き回ることはちょっと難しいのかも知れない。そういうこともあってか、その後も必ず誰かにエスコートされた。

その夜、POSTECHではジョンフン・オーがぼくともう1人の客を連れて豪華な中華料理店に連れていってくれた。もう1人の客とはアメリカ、ベル研究所の研究員、パーサ・ミトラ氏であった。このインド生まれのハンサムで理知的な研究者は、日本文化に対して強い興味を持っている。「クロサワの作品や・・・(ぼくの知らない監督)の作品はほとんど見ている。最近アニメのプリンセス・モノノケをみたが、意外によかった」などといっている。「それは、ポケット・モンスターに比べればよい、という意味か?」などとからかうと「あのポケット・モンスターはいただけない」といっている。「いや、そうでもないだろう。ぼくはポケモンは結構気に入っている。ファニーだけれどもともかく無害だ」と言っておいた。ぼくはアニメのドラゴンボールはきらいだ。初期の鳥山明作品の明るさが失われていて、しかも暴力シーンが続く。少なくともポケモンは、あのような暴力的なシーンのあるものよりはましではなかろうか、と思っている。今アメリカでは子どもたちの間でポケモンが大流行しているそうだ。ソウルの地下鉄ではポケモンの腕時計のセールスを見たが、この韓国ではまだ(2000年1月段階では)本格的には流行していないようである。ポハンの空港でテレビを見ていると、ドラゴンボールをやっていた。流行には数年の遅れが伴うものらしい。

これまでクロサワやオズがそうであったように、いまは日本のアニメやゲームが新しい種類の日本文化として受け入れられ始めているように思える。アジア諸国にはすでに「おしん」や「ドラえもん」などが浸透していると聞く。質の良いものであるならば、そういうものが浸透することは悪くはないかもしれない。ここ韓国では最近になって日本の映画が解禁になり、学生たちはコナンやラピュタを見たといっている。韓国の若い学生達がぼくを見る目に、日韓のわだかまりがそれほど強くないような印象を受けるのは、そのおかげもあるのではないか。

冬の学校第一日。午前中から、このパーサ・ミトラが実験データ分析の統計検定法についての講義を行った。自分の研究も織り交ぜてはいたが、スペクトル分析に基づいた統計有意検定などの基本や、具体的なデータを前にしたときの応用例について、大変わかりやすい説明がなされた。講義中にもときどき聴衆に問いかけるあたり、いかにもアメリカ流の講義だと思った。日本の教授も、ヨーロッパの教授も、また東欧圏の教授などは特に、講演が下手である。退屈な話を長々と続ける人をみていると、聴衆が目の前にいることがわかって話しているのだろうか、といぶかりたくなることがある。これに対して、アメリカの教授やイスラエルの教授の講演のなかには、まれにではあるが、感銘を覚えるような構成の講演がある。それには資質も必要だが、教育の成果でもあろう。

パーサ・ミトラの講義のあとはfMRIの仕組みやその応用に関する講義が韓国の助教授によって韓国語で行われた。この人自身はアメリカのMITで教育を受けた英語の堪能な人であるが、聴衆のうち英語が必要なのはパーサ・ミトラとぼくの2人だけなので韓国語で話すのは自然なことであった。スライドは英語で書かれていたのでその内容はよく理解できた。講演というものは話の構成が悪ければ母国語で聞いてもわかりにくいものだが、構成が良ければ何語で話されていようがわかるものである。講義には彼自身の研究報告も含まれていた。引き算を行っているときと、かけ算を行っているときでは、被験者の脳活動部位が異なる、という結果である。引き算とか、かけ算とかは、それをどのように学んだかという文化的背景に大きく依存するのではなかろうか。この国でも九九のテーブルを学ぶのだろうか。聴覚的に覚えるのだろうか、それとも視覚的に覚えるのだろうか。以前ぼくらの研究室にポスドクとして滞在していたフランス人は「九九」を学んでいないといっていた(彼の名誉にかけていうが、彼はずば抜けた秀才である)。だから、韓国ではどのように引き算やかけ算を学ぶのか、という質問をした。韓国は日本と同じく「九九」のテーブルを学んでいるという返答であった。この講義の後にインド生まれのパーサと話していたら、インドでは「12かける12」までを暗記し、人によっては「16かける16」までを暗記している、とのことであった。

翌日はぼくの講義であった。ぼくの方はチュートリアルというよりは、自分たちの研究の紹介を念入りにやることにした。研究例を通して、実験データや理論モデル、統計分析手法などについて紹介することができると考えたからである。講演の最初にPOSTECHコンピュータサイエンス部門の主任が韓国語でぼくの略歴を紹介された。この先生とは、昨日会って最初のうちは英語で会話していた。ところがお昼ご飯のあとのお茶を指さして「これは麦茶です」と突然日本語でいわれたので、一瞬何をいわれたのかわからなかった。話してみるとこの先生は日本で生まれて京都大学を卒業したそうである。その後アメリカで暮らしたが今は韓国に定住している。韓国語でどんな紹介がされたのか冷や汗ものであった。ぼくは講演のために、前日から韓国語の挨拶を準備していた。講演の冒頭に「アンニョンハセヨ(こんにちは)」から始まって「日本の京都から来ました。名前をシノモトといいます」というあいさつを(たどたどしい)韓国語で話すと、聴衆から大きな拍手が起こった。続いて講義の内容に入る前に、なぜぼくが物理学科にいてこういうことをやることになったか、という個人史をジョーク混じりで披露したらそれも結構受けた。これで聴衆の学生たちはリラックスしたと見えて、ぼくの講演にはどんどん質問が出るようになった。とりわけ女子学生が元気だった。女子学生の比率は3,4割といったところで、日本に比べてかなり多い。彼らは男子学生よりもよく質問して、元気があるように思えた。ぼくは国際ワークショップの20分講演用に準備したトラペンを20枚足らずしか持ってきていなかったが、学生たちの質問のおかげで、3時間の講義時間はあっという間にすぎた。

ぼくの後には韓国国内の講師による講義が2件あった。時間の関係ですべてを聞くことはできなかったが、ぼくの直後の講義はRiekeらの著書``Spikes"の内容を解説しようとしたものであった。ぼくはこの``Spikes"という本は半分ほど読んだことがあって、その時は神経スパイクの情報量算定やホムンクルスのベイズ推定といった基本発想はおもしろいと思ったが、この種の研究が今後どうやって発展していくことができるのか、というあたりが未だによく見えない。今回の講義は最後まで聴けなかったが、そのあたりの展望については議論があったろうか。ベイズ統計の愛好者は世界中に遍在する。ぼくも個人的にはベイズを愛する気持ちは分かるのだが、その一方で、なぜこんなに多くの人がベイズをビジネスにするのか、ときどき不思議な気分がする。

今回は2泊3日の短い旅であったが、国内旅行にはない体験をすることができた。その結果、「近くて遠い国」はずっと身近に感じられるようになった。若い学生達の明るさ、元気のよさが何よりも印象に残った。特に若い女性の表情が美しいと思った。一昔前の日本女性はこのような表情をしていたのではなかったか。いま日本の若者から失われつつあるものがそこにあるような気がした。

RETURN