神経回路学会誌 (2019) Vol.26 No.3 巻頭言

これからどうするのか

京都大学理学研究科  篠本 滋

神経回路学会が設立されたのは今から30年前のことです.そのころは,連想記憶モデルや誤差逆伝播法の研究をきっかけとした第二次ニューロブームの真っ只中で,学会は活気にあふれており,新しい理論が出現するたびに湧き上がるような議論をしたことを思い出します.私は学会にこれまで2回巻頭言を書かせていただきました.約20年前に書いたときには,無数のモデル研究が現れては消える有様にやや悲観的でしたが,約10年前には,神経科学との共同研究が発展しはじめたことで楽観的でした.今の学会の状況はどう捉えられるでしょうか.神経回路学会で扱われる研究はニューラルネットワークモデルの応用と脳の情報処理を論じる計算論神経科学の二つに大別できるかと思います.前者について言えば,昨今のいわゆるAIブームは神経回路学会が主導できたはずのものでしたが,人工知能学会に持って行かれた感があり,この問題についても思うところはありますが,本稿では後者の計算論神経科学について論じます.

日本の研究者コミュニティでは,神経生理学者の伊藤正男,塚原仲晃,外山敬介らと理論家の南雲仁一,甘利俊一,福島邦彦らが古くから研究交流を続けていました(外山,篠本,甘利「脳科学のテーブル」(京大出版会)).実験と理論の交流をさらに強固なものにしようと考えた塚田稔はこの神経回路学会を1989年に創設し,さらに甘利俊一を代表とした重点領域研究「脳の高次機能」を1991年に立ち上げました.この領域研究プロジェクトはその後も研究課題名,代表者,参加班員を替えながらも特定領域研究へと引き継がれ,日本の神経科学を支えていきました.今では実験家と理論家が共同研究するのは当たり前になりましたが,30年前にその基盤となる人的ネットワークを作った塚田の先見性は高く評価されるべきかと思います.

理論と実験合同の研究会は,初めのうちは理論家と実験家は互いに言葉(用語)が通じないという有様でしたが,十年以上にわたり研究会を続けるうちに次第に会話が成り立つようになり,やがては共同研究が生まれるまでになりました.言葉が通じないのに研究交流が続いたのはなぜでしょう.神経生理学者は会議などに出て実験の時間を潰したくはないはずですが,研究費を確保するためにはこれに応募する必要があり,採択されれば会議に参加しました.理論家も言葉の通じない研究会に出たいとは思わないはずですが,夏は湯沢,冬は蔵王(後にはルスツ)という絶好のロケーションにひかれて足を運びました.研究会に参加すると3日間にわたって質の高い講演を聞いて侃々諤々の議論をすることができました.参加者は同じ宿に泊まり込み,毎日深夜まで酒を飲んで馬鹿話に盛り上がり,その結果理論家と実験家の間に友情が生まれました.今考えると夢のような時間でした.私はこの研究会で知り合った実験家と共同研究をたくさん生み出すことができました.

脳の重点領域,特定領域研究は神経生理学,解剖学,心理学,情報学など多くの分野から多数の研究グループが参加する大型プロジェクトで,2009年まで続きました.文科省は2000年頃から狂ったように目新しいシステムを作っては壊すことを繰り返し,2010年頃には特定領域研究のシステムそのものも廃止してしまい,その次は小規模な新学術領域研究に細分してしまいました.私は新学術研究にも参加させていただき,その領域研究も研究者交流の場を提供していただき有り難かったのですが,そこには競争に勝ち残ったエリートの会という雰囲気がありました.以前の重点領域,特定領域研究でもエリートは多かったのですが,そこには適度におかしみのある「変な人」が混じっていて,その味のある人生の深さ楽しさを知ることも大きな楽しみでした.脳科学にはいろんなタイプの人が混じり合っているのが良いと思うのです.ある神経生理学者が「特定領域研究では脳全体のいろんな話を聞けてよかった.学会では自分の専門の話しか聞く暇がありません」と残念がっておられましたが,あの夢のような世界はかくして消え去りました.

神経生理学は計測技術の向上をうけて驚異的な発展を遂げ,視覚聴覚情報の流れや情報変換,運動機序,短期記憶,情動など,脳内情報処理の様子がどんどん明らかにされていきました.私は重点領域,特定領域研究でその壮大なドラマを目の当たりにすることができました.2006年の巻頭言では「実験の驚異的な進展を受けて,理論は変わっていかねばならない.今は理論にとってチャンスの時ではないか」と楽観的な見方をしていました.それから10年以上を経ました.計測,解析技術はさらに向上し,いまでは光計測で10万個の神経細胞の同時計測が可能になりました.

技術の発展そのものは素晴らしいことなのですが,心配事があります.米国は初めから一貫して先頭を走っているわけですが,日本は予算も人材も減って米国との格差がどんどん開いていることです.最新鋭の計測システムもデータ解析技術もそのほとんどが米国で開発されています.いま日本から世界に発信できるものがどれくらいありますか? もしそういうものがなく,さらに将来の展望がないなら,日本の学会にはどういう意味がありますか?

最近,国際研究会での日本人の発表も減っているように思えます.一方,中国人研究者の発表が男女ともに増えていますが,彼らの多くは英語も堪能で発表のレベルも高くなってきています.中国では海外で教育を受けて成功した人材を本国に戻して雇用し始めていると聞きます.それは国力を高める効率的な手段だと思います.日本は明治維新の直後と第二次大戦直後にはしっかり外から学ぶという施策をとって成功しました.最近のノーベル賞受賞の多さは後者を反映していると思います.ところが現在の日本の大学では,研究実績を無視したなれ合い人事が横行しているように思えます.世界に通用する研究のできる人材を採用していかなければ,進歩は停止し日本は科学後進国になっていくでしょう.日本の現状を鑑みると,私はもはや楽観的ではいられなくなっています.

若い人には,まずは外国の研究会に出席して,そこで何が起こっているかを自分の目で確かめることをお勧めします.自分の村が外国で通用していないならそんな村社会は捨てて外国に出ればよい.また分野に将来性を感じないなら,さっさと商売をかえたら良い.なりふり構わず生き残りの道を模索すれば良い,と思うのです.ただし,どんな分野にいっても国際的に認知される道を目指してください.こういう悲観的なコメントで巻頭言を締めくくるのは残念ですが,このメッセージが学会の一念発起につながることを切に願います.

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