神経回路学会誌 (2006) Vol.13 No.4 巻頭言

村と世界をつなぐ

京都大学理学研究科  篠本 滋

ちょっとした手違いがありまして,編集委員長が巻頭言にしゃしゃり出ることになってしまいました.まずはそのことをお詫び致します.しかしこれもよい機会ですので,このページをお借りして神経回路学会誌の今後の運営について議論したいと思います.さて,学会誌の目的は何かと考えますと,会員に必要かつ有益な情報を提供する,ということでしょう.より根源的に考えれば,学会の繁栄,そして学問の発展を促す,ということだと思います.

 学問が発展するということは,同時にそれが古くなっていくということを意味しますが,古いことはけっして悪いことではありません.ユダヤ教ではラビが数千年前の教典について営々と解釈を試みているそうですが,伝承する価値のある学問には,知識を会得した学者が必要です.ニューラルネットワークモデルが社会に果たした役割は大きく,高度に発展した知識体系を伝承し,それをさらに洗練していく人材を擁しているのは神経回路学会であり,それは学会の大きな財産です.

 この一方,学問はつねに前進し続けなければならないという宿命をもっています.ルイス・キャロルの「鏡の国」の一節のように「この国では,おなじ場所にとどまっているためには,全速力で走らなければいけない」のです.ですから,学会が維持されるためには,つねに新しいチャレンジを試みるという努力が必要です.同業で会話が通じる者が仲良く努力するだけでは,学会の活力は失われていきます.活力を維持するためには,新しい人材やテーマを受け入れていくことが必要だと思います.私がこの分野に入ったのは1987年六甲にて開かれた「神経情報科学研究会」でした.人の発表を台無しにするようなコメントを次々と発する若造を,そのグループは受け入れてくれました.異物を取り込む好奇心と勇気に,私はこのグループの底力を感じ,そこに惚れ込みました.

 研究者というのはいわば狩猟民であり,つねに獲物を求めて鼻をぴくつかせておく必要があります.学会誌には様々な役割がありますが,研究テーマの素材や研究のヒントを提供する場として一役買うことが出来るのではないかと思います.ただし,このグローバリゼーションの時代に情報はすでにあふれており,日本の学会誌から発信出来ることは,情報量の点で貧弱で,また内容に偏りがあることは否めません.日本の学会というのは世界の中の一つの村に他なりません.学会誌というのはいわば村の新聞です.村新聞などに目もくれず世界新聞のみに目を通す,というのも一つのスマートな生き方に思えます.人材というのはしかし,いきなり世界レベルに登場するというわけではなく,村社会が育んでいくというメカニズムがあるように思います.我々の村からは,甘利,福島,川人,に代表される世界レベルの人材が輩出しています.彼らがいるからこそ村に活気があるわけですが,また逆に村に活気があったから彼らが輩出したという一面もあるように思います.村で育った若者が成長し,やがて都会(世界)に出たらその様子を伝えて次世代を育てる,というのが一つの好もしいシナリオです.学会誌はそのように,村と世界をつなぐ媒体の役割を果たすことが出来ると思います.活躍している人は,村の若者をリクルートして自分の分野を活性化する目的で村新聞を利用されればよい.記事には自らの思い(こみ)を存分に盛り込んでいただけば良いと思います.

 いずれにせよ,わが村新聞に世界を意識した記事を増やしたいと思います.神経生理学を含む生物学研究は(米国を中心にした)グローバルスタンダードで勝負するということが前提になっていますが,日本の工学・情報系は必ずしもそうではないところがあるように見受けられます.国内誌で研究を育んでいくことはよいのですが,それをさらに発展させて世界に出すことが大切です.本学会誌の投稿論文査読においても大変質の高い議論が交わされています.望むらくは査読者には,どの点を補強すれば国際的に通用するか,というアドバイスをしていただければと思います.村新聞は世界レベルで活躍するためのステップアップの場と位置づけるのが良いのではないでしょうか.

 さて,残りのスペースで学問の動向についての所感を述べさせていただきます.私は1998年の巻頭言で「この10年で神経回路網理論が大きく発展したことを実感する一方で,前線の研究がオタク化の一途をたどっているという感は否めない」と書いています.それからさらに約10年経った今,神経回路学会を見てみますと,オタク化の波は通り過ぎて,みな次の動きを探っている,という印象を受けます.世の動きを予想するというのは難しいものですが,個人的には10年前に比べて楽観的です.その理由の一つは,ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)のような大きな動きが現れたことで,これが理論屋にとっての一つのビジネスチャンス(研究のチャンスという意味です)になるのではないか,ということがあります.むろん,波というのはうまく乗り切れば大きな成果が上がりますが,見誤ると被害は大きいので予断は許しません(このテーマに関しては,いま記事を依頼しているところです).

 もう一つ,神経生理学者と理論研究者のタイアップ研究が進み始めたことも明るいニュースです.個人的には最近実験研究者との共同研究をとても楽しんでいます.実験計測技術の向上もあって,これまで想像だけで進められたモデリングも検証が可能になりつつあります.想像力で補う部分が減ったことは少し寂しいような気もしますが,仮説を立ててそれが検証出来るということは,脳神経科学というものが精密科学へと変貌を遂げつつあるということで,一種感動です.シナプス可塑性を例にあげますと,ヘッブが1949年に提唱した仮説は,妄想に近いものであったともいえるわけですが,1970年代には理論モデルを通してその意義が評価され,実験的にはLTP, LTDの発見があり,1990年代にはその時間依存性STDPが見え,2000年代には2光子励起法によって単一シナプスの形態変化が目に見えるという段階まで発展してきたわけです.しかしながら,これで終わりかというとそうではなく,この可塑性がどう学習に関わっているかということは依然としてわかっていない.可塑性の理論研究は1970年代から本質的な進展は無かったのではないかとも思います.最近の実験報告を受けて理論が何を提唱出来るか,ということが今問われているように思います.これは一例にすぎませんが,実験の驚異的な進展を受けて,理論は変わっていかねばならない.今は理論にとってチャンスの時ではないかと思っています.

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